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貧乏生活の体験談をご紹介します。
今回は会社をリストラされてしまい、一ヶ月間もやしだけで生活した方の体験談です。
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就職先はブラック企業!残業代無し、休日出勤!
私は大学を卒業してある中小企業に就職しました。
私の大学をそれほど偏差値が高い大学ではありませんので、就職できることが奇跡みたいな状況でした。
その会社は私をすぐに採用してくれ、私はなんて運の良い人間だと思っていたのです。
しかし就職して働き始めるとその会社は典型的なブラック企業であり、毎日過酷な15時間労働を強いられる最悪の会社でした。
残業代が満額出るのであれば、私も喜んで働いたと思いますが、残業代なんて出るわけがありません。
休日出勤もほぼ毎週のようにありましたが、出勤したからといって手当てなんてつきません。
というか、休日出勤してもしなくても給料は変わりません。最悪のクソ企業でした。
うつ病を発症!上司に欠陥品扱いされる!
私は就職して本当に苦しい仕事をこなしながら死に物狂いで働きました。
さっさと辞めれば良かったのですが、当時の私は「ここを辞めたら、もう正社員になれないかもしれない」と思い込んでいましたので、必死に働かざるを得なかったのです。
しかし、働き始めて3年がたつぐらいに私は精神的な病を発病してしまい、なんとそれがもとで会社をリストラされてしまったのです。
その会社は必要がない人材はすぐに首にする会社で私はなんと無職になってしまったのです。
ホワイトな大企業であれば休職させてくれたりもするようですが、ブラック企業でしたのでうつ病を患った社員なんてゴミ扱いです。
⇒うつ病で働きたいのに働けない!なんとか少しでも働く6つのポイント
休職させてもらおうとしましたが、私がうつ病になったと知るや否や上司は「お前のような欠陥品は必要ない!」と罵声を浴びせ、来月付けで辞めろといわれました。
労働基準監督署に相談しようかとも思いましたが、当時の私には会社と戦う精神的余裕などありませんでした。
うつ病に厳しい社会!もやし生活が幕を開けた
それから次の会社に転職しようと思いましたが、私の学歴と経歴ではなかなか取ってくれる会社がありませんでした。
幸い会社都合退職にはしてもらいましたが、失業給付なんて三ヶ月しかありませんでしたので、うつ病の療養途中で終わってしまいました。
精神病もまだ完治していない状態なので、私は借りているアパートで泣く泣く貧乏生活を余儀なくされてしまったのです。
貯金には数万円しかなく、親にこのことを相談しようと思いましたが、私は親に迷惑をかけたくありませんでした。
私はほとんど食費も確保することが出来ずに次の就職が決まるまでなんとか数万円で生活しないといけないことになったのです。
私はとりあえず電気代の節約とガス代の節約をはじめ、食費は出来るだけ抑えて生活しようと考えました。
スーパーに行くともやしが20円ぐらいで売っていましたので、そのもやしとお米で生活をすることに決定しました。
毎日おかずがもやし炒めで、私は今までハンバーグやステーキなどを食べてきたので、本当に死ぬほどつらい食生活を送ることになったのです。
情けなさを感じる毎日!もはや死ぬしかないのか
もやし生活をはじめ、私の体重は二週間で5キロも減りました。
もやしばかり食べているのでなんだか全身の力がなくなってしまう感じがして、本当につらい時期でありました。
お金を使うことが出来ないので公園に行って暇な時間を過ごそうと考えましたが、公園で遊んでいる子供がうらやましく、現在の自分の状況がなんだか社会不適合者のような感じがして、私は自然と涙が出て情けない気分がしたのです。
家に帰ると真っ暗な部屋で眠ることしかできない私は、本当に食べているもやしと同じぐらいの価値しかない人間だと感じ辛い日々を送りました。
もやしを料理していると本当になさけなくなり、今後どうすれば会社で再就職が出来るかと思い、もしかしたらこのまま最悪の人生を送らないといけないと感じることも多かったです。
次の仕事が決まるまでアルバイトをしようかと思いましたが、本当に何をするのも無気力な状態にになり、私は人生が終わったと悲壮感を漂わせながらなんとか生き延びていたのです。
当時はポイントサイトでわずかばかりのお金を稼ぎ、なんとか生き延びていました。
5万円ほど稼ぐことができましたので、とても助かりました。
結局実家に都落ち!?当時は死人のようでした
それから私は貯金が底をつき、学生時代の友人にお金を借りようと考えました。
しかし、友達は親に報告して親元で暮らした方が良いと私にアドバイスをくれ、私は恥を忍んで両親にこの現状をありのまま報告しました。
両親は私のことを心配してくれ、すぐに私に実家に帰ってくるように電話で話しました。
私は何だか人生の落伍者のような感じで実家に戻る決意をしたのです。
大学時代に自分で独立して親に迷惑をかけずに生活することを夢見て社会に飛び込みましたので、本当に自分が情けなく親に合わせる顔がありません。
その時の私は、まるで死人でした。
ゆとりのある仕事で社会復帰!生き残れました
その時には友達になんとか電車代を借りて、死にそうな状態で親の実家に帰ったのです。
両親は次の仕事が見つかるまで家でゆっくりしておきなさいと忠告を受けました。
それから私は医者に通いながら精神病をなんとか克服し、数か月後にやっと地元の会社に再就職をすることが出来たのです。
就職した会社は食品を製造する会社で給料は以前の会社と比べて低いですが、それでもきちんとしたシフト制の8時間労働でした。
以前の仕事より余裕ができたこともあり、なんとか精神病が再発せずに仕事が出来るようになりました。
やはり困ったときには両親を頼るのが一番だと感じた次第です。
私は何とか暗闇の中から生還したのです。
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